高麗歌謡から 二編
若い頃、それほど知識があったわけではありませんが、時調(シジョ)など
韓国の古典文学に親しんでいた時期がありました。
20年前、高麗歌謡から二編の作品の訳詩を試みたのですが、
ブログを始めたのを機会に、添削したものを載せておきます。
青山別曲 (チョンサンビョルゴク)
一、いざ行かむ 入りて住むべし
青山に 入りて住むべし
草の実や 木(こ)の実を糧(かて)に
青山に 入りて住むべし
ヤルリ ヤルリ ヤルランション
ヤルラリ ヤルラ
注:「草の実や木の実」 原詩は、山葡萄や猿梨の実
二、小止(をや)みなく 鳥なき響(とよ)む
寝(い)ねて起き なきてぞ暮らす
われもまた 憂ひの繁く
ひねもす 夜もすがらなく
ヤルリ ヤルリ ヤルランション
ヤルラリ ヤルラ
四、とさまにし かうさまにして
あかねさす 昼は過ぐしつ
行く人も 来る人もなき
ぬばたまの 夜はいかにせむ
ヤルリ ヤルリ ヤルランション
ヤルラリ ヤルラ
六、いざゆかむ 出(い)でて住むべし
大海(おほうみ)に 出でて住むべし
玉藻刈り 貝を食らひて
大海に 出でて住むべし
ヤルリ ヤルリ ヤルランション
ヤルラリ ヤルラ
青山別曲は作者も制作年代も明確ではありませんが、高麗人の孤独と
人生の悲哀は現代人にも通ずるものがあるかと思われます。
原詩は八聯あり、三、三、二調のリズムによっています。
思母曲 (サモゴク)
手鍬(ホミ)にも刃(やいば)の ありといへど
利(と)きこと鎌に 及ばざるなり
父のみことも わが親にしましませど
ウィ トンド ドゥンション
母のみことに 如(し)く人ぞなき
あはれ たらちねの 母のみことに 如く人ぞなき
注:「ホミ」 除草用の小型の鎌状の農具
「トンド ドゥンション」 : 太鼓の擬音
木州の孝女の作。 母亡き後、父と継母に家を追われながらも
孝養の限りを尽くした娘が、遂に二人の心が解けぬのを嘆き、
実母を偲んで作った歌であると 、高麗史、楽志に記されてています。