秋月春風 閑人のブログ

歴史、読書、ペン字、剣道、旅行……趣味の話を徒然と。

愛犬の死

 先日、愛犬が亡くなった。11歳の誕生日を迎えた翌日のことだった。その5日前に私が散歩させていて家の近くまで戻ってきた時、彼が突然倒れたので、あわてて抱きかかえて帰り、妻とともに知人の車で動物病院に駆け込み、一命を取り留めることができた。その時に初めてわかったのだが、心臓を包んでいる膜の中に血液が溜まって心臓を圧迫しており、それも心臓にできた腫瘍が破れて出血したのが原因だと言われた。心タンポナーデという病名だった。そうとも知らず、これまで、彼の健康の為と、積極的に散歩させ、走らせたりしたのが、却って症状を悪化させていたのだ。苦しかったんやな、ずっと我慢してついて来たんやな。ごめんな。ほんとにごめんな。
 病院で救命処置として、溜まっていた血液を抜き取り、心臓マッサージを実施してくれたが、その最中に二度も心臓が停止したが、幸い蘇生させることができた。それでも一時的な延命措置に過ぎず、獣医師の先生からは、帰宅の車中で亡くなる可能性が高いが、入院治療中に亡くなってしまうよりは、家族のそばで死なせるほうが良いとの判断で、連れ帰ることにしたが、二日後には呼吸も安定し、以前の彼と変わりなく家の中を動き回るようになったので、一安心した。それからは、心臓に負担が掛からないよう、家族で見守り、彼は家の中では排泄しないため、抱きかかえて外に連れ出し、少し歩かせたうえで、排泄させていた。
 最後の日は午前中、妻が彼を抱き、私も一緒に公園に行ったが、少し歩かせてやると、彼は地面をクンクンと楽しそうに嗅ぎ回っていた。明後日には病院で再検査してもらう段取りになっていた。散歩から帰宅して5時間程後、リビングでソファの上で寝そべっていた彼が、私と妻がちょっと目を離した隙に、飛び降りたのか、ソファから落ちたのか、床の上で苦しがってもがいていた。あわてて病院へ運んだが、手遅れだった。

 彼は生まれつき右の前足がまっすぐ伸びていなかったが、歩いたり、駆けたりするのに、特に不自由は無かった。若い頃は、ジャックラッセルテリアらしく、活発な子だった。5~6歳の頃だったか、指間炎になり、時々、足の指を齧ったり、痛そうに歩くことがあったが、それ以外は元気だった。昨年の夏あたりから動作がやや緩慢になり、散歩の途中で立ち止まって動こうとしなかったり、食欲不振になったりしたが、年を取ったせいだと思っていた。ただ、時々おかしな咳をすることがあったので、知人の助言で、昨年の9月に心臓の検診を受けたが、異常は発見できなかった。11月頃、突然、音に反応しなくなったので診てもらったところ、水頭症に罹っているのがわかった。びっくりしたが、薬を呑ませているうちに、聴力も回復した。ただ頭が重いのか、不快感があるのか、時々クッションに頭を突っ込んで体を丸めていることがあったが、普通に元気な時もあったので、命に関わるような状況ではないし、水頭症でも重症ではないし、15歳ぐらいまでは大丈夫だろうと思っていた。彼が心臓を患っているとは考えもしていなかった。

 犬を家族に迎える以上、先立たれることは覚悟しておかねばならず、寿命の差は自然の摂理として受け入れるほかはないが、11年の歳月は、人間なら小学校5年生になるまで愛情を注いで育てた子に等しいわけで、そんな末っ子の甘えん坊が亡くなったと考えると、とても愛(いと)おしくてたまらない。犬の寿命としても、せめて、あと4~5年は生きていてくれてもおかしくはなかったのにと思う。


 彼の名はコマ。妻がソウルの出身なので、韓国語でちびっ子を意味する「コマ」と名付けたのだ。彼は本当に我が家の「ウリ・コマ」my little kid だった。