秋月春風 閑人のブログ

歴史、読書、ペン字、剣道、旅行……趣味の話を徒然と。

難読地名の呼称変更について思うこと

 東大阪市に大蓮というと町名がある。親戚や友人がいた関係で、子供の頃から「おばつじ」という地名が耳に馴染んでいた。それが、私の学生だった頃、「おおはす」と読み方が変更された。呼称改変の理由は、元々は「おおはす」だったのが、時代とともに発音が転訛し「おばつじ」となったのだから、本来の読みに戻したのだという。
 地方自治法によれば、町名、字名の変更は、市町村長が市町村の議会の議決を経て定めることになっている。事前にその地区の住民の意向を打診し、協議することはともかく、住民の承諾を得る必要は無いとされている。

 「おばつじ」から「おおはす」と変更されて、もう50年経つ。大蓮の地名の由来は中将姫伝説の大蓮池(おおはすち)、あるい明治初期まで存在した大蓮寺(おおはすじ)に由来するというが、少々難がある。
 地名で○○池は普通「○○いけ」と読まれる。「○○ち」となるのは「○○調節池」、「○○温水池」などの場合のみである。熊本県の菊池は「きくいけ」ではなく「きくち」であるが、「きくち」という地名は、古くは「くこち」(狗古知)、「くくち」(鞠智)から転じたもので、この場合、「池」は単なる当て字に過ぎない。大蓮池が「おおはすいけ」ではなく「おおはすち」と呼ばれていたとは考えられない。
 寺名に関していえば、大和言葉の地名、人名などに由来するものは、漢字が音表記、であれ訓表記であれ、「○○でら」と読まれるのが普通である。
 當麻寺(たぎまでら→たいまでら)、薩摩寺(さつまでら)、曽我寺(そがでら)(音表記)
秋篠寺(あきしのでら)、飛鳥寺(あすかでら)、中山寺(なかやまでら)

(訓表記)
 観音寺、法隆寺延暦寺などのように仏教用語や漢語に由来するものは「〇〇じ」である。また訓読みの地名を読み替えて、音読する場合も「○○じ」ある。例えば、長谷寺「はせでら」は「ちょうこくじ」に、清水寺「きよみずでら」は「せいすいじ」、浅草寺「あさくさでら」は「せんそうじ」となる。
 大蓮寺は「おおはすでら」か「たいれんじ(だいれんじ)」であって、「おおはすじ」と呼ばれてた可能性は少ないだろう。もっとも、室生寺(むろうじ)、根来寺(ねごろじ)など「訓読みの地名+じ」の例も存在するが、「おばつじ」の「じ」が「寺」に由来するとは考えにくい。

 蓮はもともと「はちす」であり、花托の形状が「蜂の巣」を思わせることに由来する。大蓮は本来、「おほはちす」であり「おはちす」、「おばちす」そして「おばつじ」と転訛したと考える方が自然ではなかろうか。
 日本語の語中における「は」行音は奈良時代から平安時代を通じてF音であったから、その当時はOFOFATISUと発音されていたはずである。
OFOFATISU→OFOFATISU→ OFATISU→OBATSISU→ OBATSUJI
と変化したと推定する。通常考えられるように、OFOFATISUからOWOFATSU を経てO’OHASUへと移行しなかったのは、「ほ」が脱落した為ではなく、第2音節「ほ」(FO)の 母音O と第3音節「は」(FA)の子音 Fの脱落によるものと考えている。
そして、「おばちす」から第3音節と第4音節が転倒して「おばすち」となり「おばつじ」となったのではないかと考えている。古くは「す」はTSUに近い音だったことも関係しているだろう。
 京都の大原(おほはら→おおはら)が大原女(おはらめ)や大原御幸(おはらごこう)のように「おはら」とも発音され、「小原」(をはら)とも書かれているが、これも大蓮の読みの変化と同じ現象で、長母音の短母音化によるものではなく、「おほはら」OFOFARAの第2音節「ほ」(FO)の母音 O と第3音節「は」(FA)の 子音Fの脱落によるものである。(中世の「お」と「を」の表記や発音の混同などの問題については、複雑になるので触れないことにする。)

 難読地名について、漢字の一般的な音訓から類推して、元は漢字の表記通りに読んだのが転訛したのだとして、一般的な読み方に変更してしまう例が多いが、その推定がすべて正しいとは限らない。
 現在、消滅した地名であるが、薩摩の苗代川は、元々、「のしろこ」と呼ばれていたが、明治期に町村制が敷かれたときに「なへしろがは」と改められた。(地元の人は従来通り「のしろこ」と発音していたらしい。)1956年に東市来町美山となって苗代川という地名が消滅した現在も、陶磁器の苗代川焼「なえしろがわやき」で知られている。
 明治期に「なへしろがは」とされたのは、苗の訓は「なへ」であり、川は「かは」であるから、「なへしろがは」と読むのが日本語として正しいという、役人の安直な考え方からだろう。しかし、苗は「なへ」であるが、苗代は「なはしろ」である。雨(あめ)→雨傘(あまがさ)、酒(さけ)→酒樽(さかだる)と転音するのと同じ現象である。
 苗代川は本来、「なはしろかは」で、それが「のほしろこほ」、「のしろこ」と転訛したと考えるべきで、現代仮名遣いなら「なわしろかわ」となるはずである。会津猪苗代湖は「いなわしろこ」であって、「いなえしろこ」ではない。
 宮城県の歴史地名、登米はかつては「とよま」であったが、現在は「とめ」に改められている。難読地名の読み方を簡易にするというのであれば、遠山に由来する(アイヌ語説もある)という「とよま」という呼称を尊重し、上代の好字二字化によって省略された一字を補って、「登与米」か「登余米」と三文字にすればよかったのに残念に思う。

 難読地名をその由来に基づき、本来の読みに改めることは、その地名語源についての解釈が正しければ否定しない。しかし、その解釈が誤っていれば、その改変を受け入れるわけにはいかない。また、一般に行われている漢字の音訓に引きずられて、地名の由来とは無関係な読み方にしてしまうことも、歴史文化の否定につながっていく。地名はその漢字表記もその読みも歴史文化遺産である。難読地名の呼称変更については慎重かつ柔軟な対応が必要である。