秋月春風 閑人のブログ

歴史、読書、ペン字、剣道、旅行……趣味の話を徒然と。

許蘭雪軒の「少年行」について

朝鮮、李朝時代の薄幸の女性、許蘭雪軒の漢詩を取り上げてみる。

少年行

少年重然諾 結交遊侠人
腰間玉轆轤 錦袍双麒麟
朝辞明光宮 馳馬長楽坂
沽得渭城酒 花間日将晩
金鞭宿倡家 行楽争留連
誰憐揚子雲 閉門草太玄

少年 然諾を重んじ 遊侠の人と交りを結ぶ
腰間に玉轆轤 錦袍には双麒麟
朝(あした)に明光宮を辞し 馬を長楽坂に馳す
沽(か)い得たり 渭城の酒 花間 日将(まさ)に晩(くれ)んとす
金鞭 倡家に宿り 行楽 留連を争う
誰か憐まん 揚子雲の 門を閉ざし太玄を草(そう)するを

 希布の一諾と言う言葉があるが、信義を貫くことを重んじ、任侠を志し、遊侠の徒と交わる若者がいる。意外や、彼は歴とした貴公子である。腰に佩玉を帯び、双麒麟を刺繍した錦の衣に身を包んでいる。玉轆轤とは装身具で腰に帯びる環状の佩玉であろう。
 彼は、朝のうちに朝廷での務めを終えると、妓楼に向かって馬を走らせる。明光宮、長楽宮は漢代の宮殿。この場合、明光宮は朝廷を指し、長楽宮(押韻の為、長楽坂としてある)は妓楼を意味する。妓女を宮女に譬えている。そこで美酒を求め、美女(花)に囲まれ、黄昏に至る。馬を倡家に繋ぎ、妓女と戯れつつ、居続けて数日を送る。 
 堅物の学者、揚子雲先生は家に閉じ籠って書物ばかり書いている。何と憐れなことよ。揚子雲とは前漢末の文人、太玄経(易学の書)を著した揚雄(子雲は字)のこと。

 少年行とは、楽府(がふ)と呼ばれる古体詩の題にちなんだもので、同じ題目で、唐代には絶句形式のものも多く作られている。李白、王維、崔国輔、高適と言った詩人の作品が存在する。いずれも、血気盛んな若者の自由奔放な生き様を詠じたものである。

 壮士と酒と美女の取り合わせは、少年行という主題に即した題材であり、李白の少年行にも「笑入胡姫酒肆中」とある。両班の淑女たる許蘭雪軒がなぜこのような詩を作ったのだろうか。
 儒教に抑圧された社会、男尊女卑の風潮の中で、才能ある女性として自己を実現を図りたいという願いの伝わってくる作品である。彼女の思い描いた、身分制度に縛られない任侠の士は、彼女の死後、弟の許筠が作出した人物、強きを挫き弱気を助ける義賊、洪吉童の人物像とも相通じている。